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平成17年度東京大学地震研究所共同利用研究集会
「伊豆の衝突と神奈川県西部の地震・火山テクトニクス」
講 演 要 旨 集

日 時:2005年11月8日(火) 13:00 〜 9日(水) 17:30
場 所:神奈川県温泉地学研究所(小田原市入生田)
研究代表者:石橋克彦(神戸大学),地震研究所担当教員:瀬野徹三

講演者による講演要旨を以下に掲げます.プログラムはこちらです.

第1部:枠組としての南部フォッサマグナの衝突現象

海陸双方からみる伊豆弧衝突テクトニクス:小川勇二郎(筑波大)
 テクトニクにおける今日の最大の問題の一つは,高圧変成岩の上昇問題である.しかも,それが,蛇紋岩に伴われることが多いことから,蛇紋岩テクトニクスへの貢献も期待できる.今回,その双方が見れる伊豆弧衝突帯の前弧域に相当する三浦・房総半島の例を,海陸双方から検討した.その結果,この地域に複雑なテクトニクスが浮かび上がり,伊豆弧および相模トラフの現在のテクトニクスをもあわせて,一般化可能な海溝型三重点の特徴を示すことが分かった.すなわち,現在の伊豆弧には,前弧域に大規模な断層が普通に存在し,斜め沈み込みによって深部から蛇紋岩とともに高圧変成岩が上昇している.それらが,相模トラフから本州弧へ付加し,その後フォーアークスリバーに沿って再度上昇するモデルが考えられる.これらは,房総半島の嶺岡帯に存在する変成岩,火成岩の諸構造のテクトニクスをも説明する.

南部フォッサマグナにおける衝突付加した海洋性島弧の精密復元:天野一男・松原典孝(茨城大)

(U-Th)/He法による丹沢トーナル岩体の冷却史:山田国見・田上高広(京都大)・K.A.Farley (Caltech)
 多重衝突によってもっとも最近に隆起したと考えられる丹沢トーナル岩体に対して(U-Th)/He法とフィッショントラック(FT)法を用いて冷却史推定を行った。測定の結果、(U-Th)/He年代は試料・地域によらず一定の値を示し、180℃以下では岩体は一様に冷却したことが明らかになった。FT年代は〜6Ma、トラック長分布は310-230℃での単純な徐冷を示唆する。地温勾配を40℃/kmと仮定すると削剥速度は-3Ma: 〜0.5mm/yr、3-2Ma: 〜2mm/yr、2-0Ma: 〜1mm/yrと推定される。3-2Maの急速な削剥は丹沢・伊豆の衝突そのものではなくプレート力学境界のジャンプ、あるいはフィリピン海プレートの沈み込み方向の変化などに対応するのであろう。

伊豆衝突帯の構造発達:青池 寛(海洋研究開発機構)

伊豆衝突帯の岩石学的地殻構造モデル:石川正弘(横浜国大)
 今回,震源データによる震源分布から,伊豆衝突帯の地震発生帯の形状を検討し、伊豆衝突帯におけるフィリピン海スラブの岩石学的構造モデルを提案する。1999/01/01から2001/12/31 の3 年間の気象庁一元化震源データから3 次元震源分布図を作成し,あらゆる方向から伊豆衝突帯における地震発生面の形状を検討した結果,地震発生面の深度分布は丹沢山地の中部付近を境に東側と西側で異なっており、丹沢山地直下では西部の方が数〜5kmほど深いことが明らかになった。これを伊豆弧地殻構造や丹沢変成岩類のテクトニクスと関連して解釈すると,山梨県東部まで緩傾斜で沈み込んでいる伊豆弧下部地殻(フィリピン海スラブの最上部層)が南北方向に断裂しており,西側のスラブが東側のスラブより深く位置していることになる。フィリピン海スラブのスラブ断裂の位置はちょうど推定された関東地震(1923 年)の震源断層の西端であり,関東地震の震源断層の形状を規制している。また,このスラブ断裂構造の真上の丹沢山地中央部の河内川沿いには南北方向の大規模リニアメントが位置しており,このスラブ断裂構造に関係して形成したのではないかと推定される。

衝突の2類型(ヒマラヤ型とアルプス型)と伊豆の衝突:瀬野徹三(東大震研)
 西南日本の低周波微動が見られないところでは,スラブ地殻内地震がないこと,そのようなところでも,スラブマントルで地震が起こり,したがってスラブの脱水が起こる場合には沈み込みが起こっている.しかしまったくスラブ内地震がない伊豆北方では衝突が起こっていることから,衝突を特徴づけるのはスラブからの脱水がないことであると考えている(Seno, 2003, 2005).ヒマラヤでは,全収束のうちindentationが60 %と大きく,残りの潜り込みのうち半分で地殻がはぎ取りられている.一方アルプスでは,indentationはほぼ0で,潜り込みが全てだが,そのうちexhumationがかなりの部分を占める.この違いは,潜り込むスラブからの脱水があるか否かによると考える.ヒマラヤでは,最初テーチス海の沈み込みのため大陸プレートが沈み込み,しばらく後exhumationが起こったが,その後は巨大な大陸地塊が潜り込みつづけ,この場合脱水がないためにはぎ取りが起こって来た.アルプスでは海洋プレートに挟まれたいくつかの大陸片が衝突してきたため,大陸の沈み込みが起こり,十分大きな大陸が沈み込んだ後,exhumationが起こった後,また海洋プレートが沈み込むので,はぎ取りはなくexhumationのみとなる.また沈み込みが挟まるので,スラスト帯の応力も平均的に小さくindentationは起こらない.
 これらと比較すると,南部フォッサマグナの衝突では,indentationは小さく,はぎ取り,exhumationも小さい.これは伊豆-小笠原弧の沈み込みでは脱水が起こっていないが,上部地殻下端に弱面を持った厚い衝突地塊が沈み込んだ際,十分な面積を持たないことが多く,従って上部地殻をはぎ取ったり,exhumationを起こすだけの剪断トラクションを持たなかったために,沈み込んでしまったのであろう.

第2部:やや広域の諸現象のレビュー

震源分布からみたフィリピン海プレートの形状と地震活動:野口伸一(防災科研)
 関東下のフィリピン海プレートの震源分布と形状を規定する要因として,海溝三重 点を含む沈み込み口,伊豆・小笠原火山弧〜前弧域の構造(物質分布,弾性波速度, 温度構造)等を挙げた.概ね3グループに分けられるフィリピン海スラブの地震 (堀,1997)に基づき最上部のスラスト型地震群に沿ってプレート上面を求め1923年 関東地震の断層面と調和する結果を得た.弾性波高速度域と疎らな震源分布から伊豆 衝突域の北方深部にもフィリピン海スラブが推定された.さらに関東地域はフィリピ ン海・太平洋両スラブの“衝突”と深部インターフェースの形成においてユニークで ある.インターフェースの進展は,スラブの変形,スラブとウエッジマントルの温度 構造・脱水条件の時空間変化,火山フロントと伊豆弧衝突域の移動等の浅部テクトニ クスと因果関係を持つと考えられる.

地震波トモグラフィからみたフィリピン海プレート:神谷眞一郎(海洋研究開発機構)
 地震波トモグラフィーの結果から、関東東海地方下に沈み込むフィリピン海プレートの形状についての議論を行った。沈み込んだフィリピン海プレートは、東海地方では30km程度の厚さを示しているが、関東地方の下では60km程度まで厚くなっている領域があらわれている。この厚いプレートの西端は神奈川県西部にあり、そこでは厚さが急激に変化している。また、伊豆半島の北方では、火山活動に対応すると考えられる低速度異常のために深さ40-60kmの範囲で関東地方側と東海地方側のフィリピン海プレートが寸断されているように見えるが、深さ70km以深では両者が北緯36度付近で再びつながっているように見える。このことから、高速度異常が寸断されている深さ40-60kmの範囲でもプレートそのものはつながっていて、温度だけが高温になっているという可能性も考えられる。

稠密地震観測による南部フォッサマグナの地震波速度構造:中道治久(名古屋大)・富士山稠密自然地震観測グループ
 2002年秋から2005年春に行われた富士山稠密地震観測のデータを用いて南部フォッサマグナの3次元地震波速度構造を求めた.以下に,速度構造の特徴を示す.深さ5-15 kmにおいて富士川に沿って駿河湾から南北に伸びる低速度域が見られる.富士山直下の低周波地震発生域では低速度で,揮発性物質の蓄積が示唆される.丹沢山地直下にトーナル岩に対応する地震波速度がみられるとともに,足柄直下ではくさび状低速度域が見られ,フィリピン海プレートが陸側プレートに縮合している様子が描写された.箱根火山の直下の深さ6-14kmに低速度域が見られる.これらのことから南部フォッサマグナの構造が以前の研究より詳細にイメージされたといえよう.

伊豆衝突域周辺の広域応力場:久保篤規(高知大)
 伊豆周辺の応力場は扇形トラジェクトリモデルで説明されていたが、近年のダ イクの貫入などを説明するのに不十分であり、伊豆半島を南北に分ける境界を もつ応力区をその両側に想定する方がもっともらしい。西側の応力区はフィリ ピン海プレートや南海道沿いのスラブに見られる広域的な応力場の主軸方向の 特徴を同じくしている。伊豆東部に広がる北西ー南東圧縮、北東ー南西伸張の 応力区は、南北には丹沢ー三宅島南方に広がるフィリピン海プレート内に局所 的なものである。所謂力学境界とされる御坂山地には東西圧縮の応力場がみら れ、その北側の本州弧側では、御坂山地の中央付近から、圧縮軸トラジェクト リが放射状に広がっているパターンがみられる。今後力学的なモデルによって これらの特徴を説明していく必要がある。

反射法地震探査によるフィリピン海プレートの形状:佐藤比呂志(東大震研)・伊藤谷生(千葉大)・大都市圏地殻構造研究グループ

マルチチャンネル地震波反射法による相模湾のイメージング(既存データの整理):笠原敬司・武田哲也・木村尚紀(防災科研)
 大大特研究(大都市大震災軽減化特別プロジェクトI地震動(強い揺れ)の予測:大都市圏地殻構造調査研究)の研究のなかで関東地方のフィリピン海プレートの上面のイメージングを行い関東地震の震源断層の研究が地震研究所を中心に行われている。防災科研において、この研究に関連して、フィリピン海プレートが相模トラフより沈み込む詳細な形状を認識するため、従来行われていたマルチチャンネル地震波反射法のデータの再整理を試みている。しかし、かって行われた探査データは、現在デジタルデータとしては、保存されていないことがわかった。既往の出版物や防災科研で実施したデータなどについて整理し、同一の処理を行う計画やその中間結果を紹介した。

相模湾の地形と地質・構造:藤岡換太郎・山下幹也・木下正高・木戸ゆかり(海洋研究開発機構)

測地測量データからみた伊豆衝突帯の変動:今給黎哲郎・西村卓也(地理院)

GPSデータの主成分解析とその解釈:河村将司(名古屋大)・山岡耕春(東大震研)
 伊豆半島周辺広域のGPS観測点のデータ(水平2成分)に対し、主成分分析に基礎を置いた新手法(モード回転法と命名)を適用した。この新手法では、上位時間モードに存在するランプ状ステップと同期間の下位モードのステップに着目し、上位モードのみにステップを集約する。同時に空間モードでは、その期間における変動パターンが強調される。適用の結果、2000年三宅・神津イベントの活発な時期にイベントの影響が本州内陸部へと伝わっていく様子が現れた。この結果のみからでは伊豆半島周辺のテクトニクスについて詳述はできないが、手法の改良によりできるだけ多くの下位モードを物理的に意味を持つものにすること、他のデータへの適用などが、テクトニクスに関する理解を得る上で重要となる。

第3部:神奈川県西部地域の地殻活動と変動

神奈川県西部地域の地震活動と箱根の火山活動:棚田俊收(温地研)
 過去15年間の地震観測結果をもとに、微小地震分布、発震機構や地震発生層の形状、相似波形の分布からみた神奈川県西部における地震発生環境の特徴を紹介し、今まで提唱されてきた地震発生モデルとの比較検証をおこなった。あわせて、足柄平野反射波探査(神奈川県,2002)や平塚ム裾野屈折波探査測線(棚田ほか,2002)の結果も紹介したが、未だ「小田原地震」の震源像をつかみきれていないのが現状である。一方、箱根の火山活動については、2001年群発地震活動を中心に、地震活動や地殻変動の概要、そのモデル計算例を紹介し、大涌谷北側斜面にあらわれた噴気域が開口断層と密接な関係があることを示した。

神奈川県西部地域の地殻変動と応力場:原田昌武・棚田俊收・伊東 博・本多 亮(温地研)
 温泉地学研究所では、神奈川県西部地域の地殻活動をモニタリングするために、県西部地域に地震・地殻変動観測網を展開している。地殻変動観測についてはGPS、光波測量、傾斜観測、地下水位観測と多項目にわたり連続した記録が得られている。これらのうちのGPS、光波測量の観測結果からは、2000‐2001年あたりを境にトレンドが変化しているように見える。また、県西部地域の地震活動も同時期に活発化していることから、地殻活動が変化したことが考えられるが、その原因を特定することはできなかった。一方、フィリピン海プレートの形状を考慮した3次元有限要素法によるシミュレーション結果からは、足柄平野と房総半島南西沖に応力集中が見られた。これはWald and Somerville(1995)による関東地震のアスペリティ分布とおおよそ調和的である。

伊豆衝突帯北東部における2000m級陸上掘削:大都市大震災軽減化特別プロジェクト(I)の成果:林 広樹(島根大)・伊藤谷生(千葉大)・上杉 陽(都留文大)・笠原敬司・関口渉次(防災科研)・高橋雅紀(産総研)・津久井雅志(千葉大)・柳沢幸夫(産総研)
 伊豆衝突帯の国府津-松田断層系を含む複雑な地質構造の理解に資することを目的と して,神奈川県山北町丸山の山腹斜面で深度2034mに達するボーリング調査を行った. ボーリング地質によると深度721mまでは箱根古期外輪山堆積物が分布し,それより下 位は伊豆弧の基盤岩と考えられる.丸山山頂には更新統の足柄層群が分布しているこ とから,丸山山腹の地形変換点付近に,少なくとも平均変位速度が1mm/年を超える未 発見の第四紀断層の存在が確実になった.

神奈川県西部地域の活断層:小田原啓・萬年一剛(温地研)
 神奈川県西部地域は、フィリピン海プレートが本州弧に衝突している場所とされ、国府津・松田断層、日向断層、平山-丹那構造線などの活断層が存在する。近年、神奈川県(2004)の国府津・松田断層調査や萬年ほか(2005)の日向断層に関する研究等によって、その活動様式が明らかになりつつある。これらの活断層群は一連の釣鐘状断層群を成しており、約10万年前以降一連の動きをしているように見え、また、高橋ほか(1999)・萬年(2003)・小林ほか(投稿中)等により、箱根火山等の火山活動と密接な関係にあることが指摘されている。しかしながらこれらの活断層と、いわゆる「小田原地震」との直接的な関連性は見出されていない。よって今後さらなる調査検討を進めていく必要がある。

歴史上の小田原地震とその震源域:石橋克彦(神戸大)
 基本的には石橋(1988)以来の話と同じだが,最近の報告も参照してレビューした.17世紀以降の小田原は,1633,1782,1853年のM7級地震と,1703,1923年のM8級プレート間地震で激しい地震被害を受けている.1923年にプレート境界メガスラストと同時に相模湾北西部の南北性逆断層が活動したことは,地震時地殻変動からみて確実だろう.松浦・地震予知総合研究振興会(2005)が,1633年は国府津-松田断層の活動,1782年は1924年丹沢地震のような山梨県東部の活動と解釈したが,前者は歴史記録と不調和であり,後者は震度分布のパターンが著しく異なっていて,ともに無理な解釈である.結局,3回のM7級小田原地震は,震度分布と津波から,1923年に活動した「西相模湾断裂」の活動と考えるのが妥当である.

1923年関東地震の静的断層モデル:西相模湾断裂を考慮したインバージョン(予報):田淵裕司・石橋克彦(神戸大)・吉岡祥一(九州大)
 1923年関東地震の従来の断層モデルは,相模湾北西部の真鶴岬と初島の顕著な地震時隆起(前者は2〜3 m,後者は約1.8 m)を説明できない.そこで,水準・三角測量による地震時上下・水平変動に真鶴岬と初島の隆起データも加え,「西相模湾断裂」を想定して,インバージョンで静的断層モデルを求めることを試みた.三角測量については,従来は約30点の一等点と補点のデータしか使われていないが,藤井・中根(1981-82)による二等点までの網平均結果約170点を用いた.まだ西相模湾断裂の南部(海域部分)しか考慮していないが,初島の上下・水平変動データをよく説明する結果が得られた.ただし,真鶴の残差は大きく,断層のジオメトリーやデータの重み付けをさらに検討する必要がある.

第4部:現在の変動を含むテクトニックモデル

箱根火山の形成史とテクトニクス:高橋正樹・長井雅史(日大)
 箱根火山はフィリピン海プレート最北端部の衝突境界付近に位置する活火山であり,その特殊なテクトニクス場を反映した複雑な形成史を有している.箱根火山の形成ステージは大きく分けて(1) 40〜25万年前の玄武岩〜安山岩質の前期成層火山群および安山岩質の後期成層火山群さらには前期単成火山群の活動,(2) 25〜15万年前の中期〜後期単成火山群の形成および大規模な珪長質火砕流の噴出,(3) 15万〜5万年前の玄武岩〜流紋岩質の前期中央火口丘群(新期外輪山)の形成および大規模な珪長質火砕流の噴出,(4) 5万年前以降の安山岩質の後期中央火口丘群の形成,からなる.このうち,(2)の時期には,火山体中央部は北西ム南東方向に伸長した拡大軸におかれており,単成火山群とともに多数の岩脈からなる平行岩脈群が形成された.また,(3)の時期以降は,火山体の中心部を左横ずれの丹那ム平山活断層が切るようになり,中央火口丘群付近の地下には,それに伴うプルアパート運動により多数の火道岩脈が形成されているらしい.現在の箱根火山の活動は,こうした活断層の運動によって,大きく支配されている可能性が高い.

国府津-松田断層の活動特性とテクトニクス:山崎晴雄(首都大東京)
 国府津・松田断層について、断層の起源から広域テクトニクスとの関係までを述べたが、とくに、神奈川県による最近のトレンチ発掘調査の結果から、活動間隔が約千年毎で、最新活動時期が13世紀頃であることを紹介した。同断層の活動は従来の評価より高頻度であり、活動様式は石橋(1992)のモデルと一致することから、数百年毎に発生する関東地震の何回かに1回、この断層が連動して活動する可能性が高い。また、従来から断層崖沿いで多数の地すべりの存在が指摘され、その発生時期もおおよそ特定されていたが、地震断層が出現しなかった関東地震でも地すべりが多数発生したこともあって、断層運動との関係は積極的には検討されていなかった。しかし、今回の結果から地すべりの発生時期や回数が断層運動のそれと一致する場合が多いことが分かった。

伊豆デタッチメント仮説:瀬野徹三(東大震研)
 伊豆半島は本州に対して足柄付近で衝突している.厚い島弧地塊が十分な深さまで潜り込むと,上部地殻がはがれてもっと南に境界がジャンプする.その過程で伊豆半島の上部地殻の下部には水平に広がった断層(デタッチメント)ができることになる.伊豆半島の西側2/3の部分のGPSデータは伊豆半島がPHS-EURの方向から系統的にずれ,そのずれは南に向かって指数関数的に減衰することがわかってるが,このずれは伊豆半島の下15-20 kmの深さのところに水平デタッチメントがあり,年間3cmの速度ですべっているとして説明できる.伊豆半島をほぼ南北に分ける応力区,伊豆北東部の第四紀の反時計回りの回転,2000年神津-三宅の岩脈貫入事件に伴った伊豆-中部日本の広域水平変動,1923年関東地震の副次断層による地殻変動は,このデタッチメントの運動によって説明できる.

伊豆弧の衝突と西相模湾断裂:石橋克彦(神戸大)
 基本的には石橋(1988)以来の考えの繰り返しだが,まず,DELP「南部フォッサマグナの衝突現象の解明」の研究のなかで,天野(1986)の多重衝突説や高橋(1986)のパルス的衝突説にもとづいて「西相模湾断裂」説を提唱した根拠を簡単に振り返った.そのうえで,プレートの「沈み込み口」という概念と,それが伊豆前弧(沈み込んだ部分は関東スラブ)において具体的にどこかが,極めて重要であることを強調した.伊豆前弧の沈み込み口は,海底地形・地質,地殻構造探査結果,震源分布などから,定説の相模トラフ最深部〜足柄低地ではなくて,幅広の北部相模トラフの南縁だと考えられ,このことから必然的に西相模湾断裂が想定されることと,最近のSato et al. (2005)のフィリピン海プレート上面深度は浅すぎることを主張した.

第5部:総合討論

南部フォッサマグナ地域のテクトニクスに関する古くて新しい問題:小林洋二
 結論1 火山前線の移動に伴い,湘南火山は5-6 Maおよび3 Maのころ,相模海丘付近に存在した.これは陸上で,現在の火山前線より海側に当時の火山が点々と存在すること,三浦半島における火山豆石の分布からわかる.そしてその当時の火山前線と,神谷が求めたトモグラフィのフィリピン海スラブの形態が関係あるらしい.
 結論2 天守,御坂,丹沢山脈は,マグマの地殻への付加とベンディング効果で形成された.これは天野の多重衝突説と松田の圧縮による山脈の形成説に対するアンチテーゼであるが,詳細な根拠は聴かなかった.
 結論3 A:1923年,関東地震はフィリピン海プレート内部地震から,プレート境界地震へと移った.B:1703年,関東地震はプレート境界であった.C:いわゆる大磯型地震は,フィリピン海プレート内部地震であった.これは地震P-軸,応力測定にもとづいて,衝突力学境界を甲府盆地南縁〜相模川沿いと考えるためである.この境界よりも1923年関東地震の震源や大磯型地震はフィリピン海プレート側に入るために,上の結論となる.御坂山地付近の東西のP-軸は,この考えではフィリピン海プレートの曲げによる南北伸張の表れと解釈する.

南部フォッサマグナの地層・地質構造からみた伊豆弧の沈み込み帯:松田時彦(地震予知総合研究振興会)
 南部フォッサマグナに堆積した第三紀層の地層や地質構造からみると、およそ15 Ma、12 Ma、7Ma、2Maの4時期に地質環境の顕著な変化(イベント)があった。12Maイベントで本州に由来する砕屑物が現れ南北圧縮(東西性褶曲)も始まった。このとき沈み込み帯はそれまでの静岡-小淵沢-藤野木-愛川線から足柄帯(神縄断層)へジャンプした。7Maイベントで富士川谷沿いに顕著な南北性沈降(沈み込み?)と南北性褶曲が始まった。このとき伊豆弧の移動方向が北から北西へ変化した。2Maイベントで伊豆半島が本州に付着し、顕著な隆起や圧縮変形をもたらしている。丹沢地塊の本州への接合は、御坂地塊などと共に10Ma以前(15Maイベント)に終わっていた。

総合討論におけるコメント:小山真人(静岡大)
 1.プレート境界の定義が研究者毎に異なり,議論が混乱している.伊豆半島北端部のような特異な場所で高精度の議論をおこなうためには,まず何をもってプレート境界とするかを考え直す必要がある.かつて同様の点を指摘した中村一明は,物質境界・力学境界域というプレート境界の2分法を唱えたが(Nakamura et al., 1984),小山(1995)(地学雑誌,104巻,45-68頁)はそれを改善した2分法(プレート沈み込み口,変形フロント)を提唱している.
 2.石橋(1988)の西相模湾断裂は,やや深い場所でのプレート構造を考えたものであり,その地表への延長がどこに達しているかを必ずしも明確にしていない.小山(1995)は,西相模湾断裂の地表延長部の位置を明確に示し,伊豆内弧が大磯丘陵と丹沢山地の下に沈み込んでアンダープレートしているモデルを提唱した.神奈川県西部でこれまで実施された地殻構造探査結果はこのモデルを支持している.
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